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3月24日「十字架と救い主」(ルカ23:32~38)


説教要約

 受難週に入りました。

イエス・キリストが十字架に架けられ、死なれます。

十字架という処刑の残虐さとむごたらしさについてはよく語られます。

ただ人間は人格的な存在ですので肉体的な痛みと同様に、心、魂が傷つき、深い痛みを受けます。

イエス・キリストの十字架は肉体のみならず、人間のすべての尊厳が奪われるような出来事だったのです。

 

 ずっとイエスを始末したい(殺したい)と執拗に機会を伺っていたユダヤの指導者達は総督ピラトにイエスが自ら「ユダヤ人の王」と名乗っていることは神を冒涜することになり、死罪にあたると訴えました。

ピラトは自らユダヤの指導者の思惑で利用されることを嫌い、イエスが無罪であることを告げようとするのですがユダヤ人の圧倒的な圧力によって死罪を認める判決を出したのです。

イエスの十字架を真ん中に3本の十字架が立てられました。

イエスの頭上には「これはユダヤ人の王」と書かれた札が置かれました。

これはピラトの演出によるものでユダヤ人とイエスを嘲るものとなりました。

周りにいる民衆は憎しみと嘲りの目で十字架を見ています。

兵士たちは役得とばかりイエスの衣類をくじ引きでわけようとします。

これもまたイエスを侮蔑するものでした。

十字架の周りにいた殆どの者たちの目はイエスへの嘲りと憎しみに燃えていたのです。

そして彼らが共通して言ったことは「神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」ではないか!

自分が神に愛され、選ばれていると思ったのはお前の思い込み、幻想に過ぎなかったのだ、ということでした。

主イエスが受けたこの侮辱の言葉は非常に深刻であり、私たちをも動揺させます。

「お前の信じている神は何をしているのか、人々が苦しみ、死んだという事態のどこに、神の救いがあるのか、神が本当に神であると言うなら、力を見せてみろ、苦しむ人々を救ってみせろ、それができないなら、救いだとか恵みだとか偉そうに言うな…」

しかし主イエスは言われます。

『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』

彼らは分からなかったのです。

私の罪がイエスを十字架につけ、私の罪の罰をイエスが受けて下さっていることを・・・。

しかし私たちは知っています。

十字架による罪の赦しと救いのみわざを!主のみわざに賛美と感謝をもって応えて歩みましょう。

 


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メッセージ内容(2024年3月24日)
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説教 十字架と救い主.pdf
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