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8月20日「キリストのかたち(7)キリストにあって歩む」(コロサイ2:6~10)


 説教要約

クリスチャンがよく使うことばに「キリストにあって」というものがありますが、このことばは聖書の教えを理解するためにとても大切なことばです。このことばには一体どのような意味があるのでしょうか。

 

1)キリストを受け入れること

 多くの人はキリスト教の教えについては好意的であり、時には賞賛したりもします。しかしイエスが実際になさったことになると受け入れようとしません。一般もそうですし、聖書の中にもそれでイエスから離れた人は数多く存在します。しかしイエスの教えと実際されたこととは結びついていて分けることはできません。イエス・キリストを受け入れるとは、「イエスの教えは良いものだ」とそれに賛同するだけではなく、イエスが私たちの救いのために成し遂げてくださったみわざを受け入れることでもあるのです。

2)キリストにとどまること

 当時、教会に大きな影響力をもっていた思想にグノーシス主義なるものがあります。彼らは「隠されたもの」、「奥義」、「知識」、また「満ち満ちたもの」といった言葉をよく使い、また教会の人たちはそれに魅力を感じたのです。そのようなものをパウロは「だましごとの哲学」と呼びました。知的、神秘的なものに人間はだまされやすいのです。救いはただキリストによってのみ与えられるのです。その信仰にクリスチャンは立つ必要があります。

3)キリストにあって歩むこと

 「歩む」とは「生きること」です。グノーシス主義においては日常の生活のことをほとんど気にかけませんでした。どんなにいいかげんな生活をしていても、かまわなかったのです。宗教生活と日常生活が切り離されていたのです。信仰と生活は別々のものではありません。信仰とはキリストにあって生活することです。キリストを受け入れた私たちは、キリストにとどまり、キリストにあって歩み、キリストに感謝し応答してゆきましょう!

 

 

 


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メッセージ内容(2023年7月20日)
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説教キリストのかたち(7)キリストにあって歩む.pdf
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