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7月30日「キリストのかたち(5)苦しみと共におられる神」(コロサイ1:23、24)


説教要約

 

<キリストの苦しみは私たちのため>

信仰者は、神にあっては苦しみが喜びに変わることを知っています。しかし、その苦しみがあまりに大きく深いと、時には「私の苦しみは神にさえ分からない」と思ってしまうことがあるかも知れません。しかし、本当に、神に分からない苦しみといったものがあるのでしょうか。いいえ、ありません!

神は、人間の苦しみを高いところから眺めておられるだけのお方ではなく、人間とともに苦しんでくださるお方です。私たちと共に苦しんでくださる神、このお方を、私たちはイエス・キリストに見ることができます。神の御子は人となって、人が味わうすべての苦しみ、痛み、悲しみを味わってくださいました。イエスの知らない試練、苦しみはありません。神が人となられ、人とともに苦しみ、それによって、人を苦しみから救ってくださる。ここにこそ、私たちの救いがあり、慰めがあります。

 

<キリストのための苦しみ>

キリストは私たちのために苦しんでくださいました。そこに「苦しみの問題」への回答があるのですが、聖書は同時に、キリストを信じる者たちに、キリストのために苦しむことも教えています。パウロが「キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」と言ったのは、キリストの十字架での苦しみが不十分であったという意味ではありません。キリストの苦しみとは信仰者としての自分自身の未熟さ、教会に欠けているもの、また教会が必要としているものをどれだけ自覚出来ているのかということとつながっています。それが自覚出来ていることからキリストの苦しみの欠けたところを満たすという発想が出てきます。パウロは救われた人が自立した信徒となるまで過程を「産みの苦しみ」と言い、教会が成長するためには苦しみを通ることを言いました。私たちには、教会には、何が欠け、私たちは、教会は、何を必要としているでしょうか?

 


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メッセージ内容(2023年7月30日)
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