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5月7日「帰る家はありますか?」(ルカ15:11~24)


説教要約 

今日の話は有名で教会では「放蕩息子のたとえ」と呼ばれています。放蕩に身を持ちくずしてしまった息子の話です。しかしよく考えてみると、「つながっているべきホームを失ってしまった息子の話」なのです。そしてその息子が持っているものを失ってみて初めて父のそばにいることが最高の幸せであることに気づくのです。

 彼は父親に前もって遺産を残してくれるように頼み、ついに大金を手にし、思うがまま自由に過ごします。しかしその中で飢饉に見舞われ、乞食同然の有様までに落ちぶれ、豚の餌を食べたいと思うまでになったというのです。誰一人彼を助けようと名乗り出る者はいませんでした。彼は非常に孤独であったのです。

 彼はついに父のもとに帰ることを決心します。というよりもそれしか生きる道はなかったのです。彼は父の元に帰るにあたって、常識的な判断をします。つまり「自分のような親不幸者は、もう息子と呼ばれる資格はない。せいぜい雇い人の一人にしてもらえたら御の字」ということでした。しかし神様は、そういう常識に反して、私たちを赦し、愛する子として迎え入れて下さる、そのことをこのたとえ話は語っているのです。

 自分の罪の赦しと救いは誰かに救っていただかなければ自力では無理だということをみことばは教えています。さらに聖書はその罪を赦すために主イエスが十字架にお架かり下さったことを教えています。私たちのすることは主イエスこそ救い主であると信じることです。キリストを信じることによって私たちは自らの魂の故郷、天の御国を帰るホームと呼ぶことができるのです。

 


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メッセージ内容(2023年5月7日)
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説教「帰る家はありますか」.pdf
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