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4月24日「御前に静まるとき」(マルコ 1章35~39節)


説教要約 
「御前に静まるとき」(マルコ1:35〜39)
多くの人々の病を癒し、悪霊を追い出していた主イエスの評判はガリラヤ全土に広がり、人々がイエス様のもとにやって来るようになりました。ペテロのしゅうとめの熱病を癒やした日にも、多くの人々がイエス様のもとを訪れていました。そのような働きにある忙しさの中で、主イエスは朝早く起き、寂しいところに行って祈る時間を大切にされていました。それは神様との親しい交わりのときであり、恵みのときでした。
私たちは、願いを神様に知っていただくことが「祈り」であると考えがちです。しかし、祈りにおいて大切なのは「聞く」ことです。そして、そのためには御前に静まることが必要です。「祈り」には、この世から離れて、神様との親しい交わりの時間を持つという側面があります。何よりもまず神様に心を向けるとき、神様はそこにおられ、私たちと共に居てくださいます。「祈り」のこのような側面は、「礼拝」にも通じるものです。祈りも礼拝も、神様のために時間を取り分けて捧げなければできないことですが、この神様との交わりの時間を通して、私たちは新しくされ、再び世の中へと遣わされていく力を神さまからいただくことができます。
ところが、主イエスが大切にされた、この「御前に静まるとき」を妨げるものが、私たちの周りにはあります。日常の忙しさや思い煩いは、私たちの心をたやすく占領します。アダムが御顔を避けたように、罪や汚れの自覚、自分は駄目だという思いが、神様の御前にゆくことをためらわせます。そのようなときに思い出すべきは、神様の変わらぬ愛です。
今年の年間標語は、「神を愛する者となる」です。そのために最も必要なことは、神様の愛を知ることです。御前に静まるとき、神様がお語りくださる言葉には、その根底に私たちへの愛が溢れています。

 

 

 


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