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1月30日「イエスを愛する者となる」(ヨハネ21:15~17)


<説教要約>

イエスが復活してから一週間ほどエルサレムにいた弟子たちは、ずっとそこにはとどまらず、いったんガリラヤに帰りました。正式に言うならイエス様がそうされたのです。その理由は一つは弟子たちを休ませるためであり、もう一つは、弟子たちに再出発の機会を与えるためでした。

弟子たちが、エルサレムで過ごした数週間は、波乱万丈の数週間でした。エルサレムに入った時には、救い主への期待は最高潮に達していました。しかしイエスの十字架によって失望と悲しみのどん底に叩き落とされました。さらにイエスの復活によって弟子たちの悲しみと嘆きは、日曜日には驚きと喜びに変わったのです。弟子たちの心身は疲れ切っていたのです。イエスは、彼らに休みを与えるため、弟子たちをガリラヤに導いたのです。

ガリラヤは弟子たちの故郷であり、弟子としての出発点でもありました。漁をしても一匹も魚が取れない時にイエスのことばに従うと大漁の奇跡が起きたことが弟子としての出発でしたが同じ奇跡をイエスはなされ、彼らに再出発の機会を与えられました。イエスは弟子のために食事まで用意されました。弟子達がお詫びのしるしにイエスを食事にお呼びするのではなく、イエスが用意されました。ここに、イエスの大きな愛と恵みがあります。

弟子たちの中でも中心人物となるペテロの回復にイエスは特に配慮されました。「わたしを愛しますか?」という問いかけはペテロにとって聞きたくないことばでした。自分の罪深さ、弱さが浮き彫りにされるばかりに思えたからです。しかしイエスは神の赦しを味わうために通るべきプロセスであることをご存知でした。主イエスはペテロの失敗や弱さを見るのではなく「私はあなた(イエス様)を愛しています」との応答を待っておられるのです。

 


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メッセージ内容(2022年1月30日)
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説教「イエスを愛する者となる」.pdf
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