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3月7日 「福音が必要なわけ」(イザヤ53:1〜6)


イザヤ書にはイエス・キリストについての重要な預言が数多く記されています。

特に今日取り上げました53章にはキリストの受難の預言が詳しく描かれています。

その預言を見るとキリストの受難について細かい部分にいたるまで、正確に成就していて、個人的には驚きを超えて、恐ろしい思いを持つほどです。

聖書なのだから当然だと言えばそれまでですが、イエスの十字架から800年ほども前に、こんなにも正確にキリストの苦難が描かれていることに、聖なる畏れを感じずにはおられません。

 

しかし、聖書がこんなにも詳しくキリストの受難を預言しているのはなぜでしょうか?それは、キリストの受難こそが、わたしたちを救うものであり、聖書の主題だからです。

預言と一致しているのは見えることだけではありません。

その意味や意義も一致しているのです。

預言の言葉は、ー貫して救い主が、人の罪を背負って、その身代わりとなって苦しみを受けられると言っています。

福音とは十字架と復活です。

すべての人は、イエスの身代わりの死によってはじめて罪の赦しを得、イェスの復活によって、新しいいのちに生きることができます。

聖書は「人生の問題」を扱っています。

聖書が「人生の問題」というときには、根本的にはわたしたちの、「生きる」か「死ぬか」、「生死」の問題っています。

つまり魂の問題です。

聖書の主題は、イエス・キリストの十字架と復活は、文字通り、イエスの「生死」の問題を扱っているのですが、このイエス・キリストの、十字架の死と復活が、私たちを本当の意味で生かし人生の問題に根本的な解決を与えるのです。

私たちには福音が必要なのです。


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メッセージ内容(2021年3月7日)
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