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9月20日 「主の励ましを受けて」(ヘブル10:22〜25)


この時期、心身共に疲れを覚えておられる方が多いことと思います。

このような時、誰でも慰めと励ましを必要としていることと思います。特にクリスチャンは神様からの励ましと慰めを必要としています。

ではどこで神様の慰めと励ましを得るのでしょうか?

コリント第二7:6に「気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」とあるようにパウロは神様の慰めは人を通じて来ることを語っています。

ですから教会つまり兄弟姉妹のつながりは神様の慰めと励ましを体験できる場でもあるのです。

 

神の励ましの基本は今も主イエスは私たちのために天において執り成していてくださるということです。

主イエスは今も天において大祭司として働き、自ら十字架の上で神の小羊として血を流され、死なれたことによって私の罪を赦し続けてくださっているのです。それは神様の愛の故にです。

これが神の励ましの基となっています。

神の愛に基づく励ましが私たちに「全き信仰をもって神に近づくこと」「しっかりと希望を告白すること」「互いに勧め合って愛と善行を促すこと」を実行するようにと勧めています。

このように見てゆくと「信仰」「希望」「愛」ということばが励ましのキーワードとなっていることに気がつかされます。

 

「いっしょに集まること」においても大切なことは物理的に集まることよりも主と隣人を愛するがゆえに何をするように主イエスが勧めておられるのかに心を向けたいと思います。

「集まる愛」もあれば「集まらない愛」もあるのです。

 


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メッセージ内容(2020年9月20日)
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主の励ましを受けて.pdf
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