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7月19日 「キリストとのきずな⑤ わたしは世の光です」(ヨハネ 9章1〜7節)

 

生まれつき盲目だった人が主イエスによって癒されるという話です。

この人を見て弟子たちは、「この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したためか」という議論を始めました。

ある弟子は「それは両親が罪を犯したためだ」と言い、別の弟子は「本人の罪のためだ」と言いました。

他の弟子は、「人は生まれる前にどうやって罪を犯すのか」と言い出しました。

しかし、このような議論は、議論している人は真剣かもしれませんが結局この人を苦しめるだけでした。

 

主イエスの答えは弟子たちの議論とは全く別のものでした。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。

神のわざがこの人に現われるためです。」と言われたのです。

弟子たちは、この人の不幸の「原因」を、「過去」にさかのぼって問いましたが、イエス様は、神がこの人にしようとしていることについて話しました。

「過去」のことではなく「未来」のことを、「原因」ではなく「目的」について語ったのです。

 

この人はイエス様の言われるようにし、癒され目が見えるようになりました。

そうやって神の栄光が表わされました。

イエス・キリストのことばが人を癒し、人を神の栄光を表わす者へと変えるのです。

もし、自分の過去を見る時に「なぜ?」「どうして?」と考えるなら、残念ながらそこには本当の解決はありません。

自分を責めるか、他人を責めるという負のスパイラルが続くだけです。

イエス様は「わたしのところに来なさい」と招き、聖書は「イエス様のもとに行きなさい」と命じています。

イエス・キリストは私のところに来るならばあなたを新しくし、あなたに本当の安らぎを与え、あなたを通して神の栄光を表わすと言われます。

主イエスのことばを信じましょう。


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メッセージ内容(2020年7月19日)
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わたしは世の光です.pdf
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