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5月30日 遠くて近い信仰者(1)「アブラハム」(創世記22章1〜19節)


聖書に出てくる信仰者は何千年も昔に生きた人々です。

私たちにとって遠い存在です。

しかし永遠にして創造主なる神は聖書を通して、現代の私たちにも、いにしえの信仰者に示されたみ心を示しておられます。

その意味においていにしえの信仰者は私たちにとって遠くて近い信仰者と言えます。

まず最初はアブラハムの信仰から学びます。

場面は一人息子イサクを捧げるように神から言われたところです。

神は私たちにアブラハムを通してどのような信仰を求めておられるのでしょうか?

 

第一に、神が私達に求めておられるのは「試練によって成長する信仰」です。

イサクを捧げることは大変な試練でした。

しかし神は試練を通して希望につながる何かを与えようとされているのです。

 

 

第二に、神が私達に求めておられるのは「神に従う信仰」です。

アブラハムは理不尽な要求を拒否することも出来ました。

しかし、アブラハムは矛盾、理不尽さの先にある神の御心を求め、神に従ったのです。

 

 

第三に、神が私達に求めておられるのは「みずからを神にささげる信仰」です。

アブラハムにとって自分のいのちよりも大切なものはイサクでした。

イサクをささげることは究極的に自分をささげることであったのです。

 

 

第四に、神が私達に求めておられるのは「神を信頼する信仰」です。

アドナイ・イルエの元々の意味は「主は見ておられる」ということです。

どのような状況の中に私たちが置かれても神は私たちを見ていてくださるのです。

そして必要なものを備えてくださっているのです。

最高の神の備えは私たちのためにイエス・キリストの十字架が備えられ、実行されたということです。

 

 


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メッセージ内容(2021年5月30日)
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