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4月4日 「恐れから喜びへ」(マルコ16:1~8)


今日はイースターです。

今朝の賛美歌で私たちは「ハレルヤ」と歌いました。

「ハレルヤ」というのは、「ハレル」(賛美せよ)「ヤー」(主を)という意味です。

もともとはヘブル語ですが、「アーメン」という言葉と同じように、これは世界共通語になっています。

神の真理に対してアーメンと答え、神のみわざに対してハレルヤと賛美できるのは、本当に素晴らしいことです。

イースターの朝、私たちも、もういちど、こころ一杯ハレルヤを唱えましょう。

 

さて「イースターとは、矛盾した祝日です」と言った人がいます。

何が矛盾かというと、罪のない方が裁きを受け、正しい方が罪を背負って十字架におかかりになり、神の子が父なる神から見捨てられ、人にいのちを与える主が死なれたからです。

どれも本当に矛盾しています。

ありえないこと、あってはならないことです。

そしてさらなる矛盾はイエスの墓を訪ねに来た婦人たちが、その墓でイエスはよみがえられたというメッセージを聞いたことです。

彼女たちは、死以外何も示さない墓場でいのちのメッセージを聞いたのです。

今日の午後に猪名川霊園に出かけますが普通お墓が示すものは死以外にありません。

どんなに美しいお墓であっても示されているのは死です。

しかし婦人たちは死のみ強調される墓において、いのちが生み出されたことを聞いたのです。

「あの方(主イエス)はよみがえられました」と。

まさに、大きな矛盾ですが、喜びに満ちた矛盾です。

死が人生の行き止まりとするなら、キリストの復活は死を超えて永遠に神と共にいる、喜びの旅の始まりです。

 


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メッセージ内容(2021年4月4日)
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恐れから喜びへ.pdf
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