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3月21日 「みこころを求める祈り」(ルカ22章39〜46節)


今日の箇所は十字架を前にして主イエスが祈られた箇所でゲッセマネの祈りとも呼ばれています。

イエスにとって、祈りの時は、常に喜びに満ちたものでした。

しかしイエスにとって祈りが喜びではなく苦しみであったのは、おそらく、これが初めてのこととなります。

その苦しみとは肉体的な苦痛でもなければ精神的な苦痛でもありません。

父なる神から遠ざけられ、神とのいっさいのまじわりを絶たれることにありました。

その苦痛の中で

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください」

「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」

と祈られたのです。

 

聖書に出てくる杯には「祝福の杯」と「怒りとさばきの杯」があります。

過越の食事のとき、イエスは「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」と言って弟子たちに杯を与えました。

イエスが弟子たちに与えたのは「祝福の杯」でした。

イエスは、私たちには、赦し、きよめ、神の愛、恵みなど、あらゆる祝福が一杯詰まった「救いの杯」をくださるため、私たちに代わって罪に対する神の「怒りの杯」を飲んでくださったのです。

そればかりではなく私たちも主イエスが「みこころのままになさってください」と祈られたように、祈れるように共に祈ってくださいます。

弟子たちに教えられた「主の祈り」は内容と共に主が共に祈っていてくださることに意味があります。

そのことを信じ、ゲッセマネのイエスを覚えながら、日毎に神のみこころを求めて祈り続けてゆきましょう。

 

 


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