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2月7日 「キリストに学ぶ」(マタイ11:28〜30)

ある人が「人類最大の重荷は罪である」と言っていますが、わたしたちはみな罪の重荷にあえいでいます。

一つ罪の重荷を下ろしたと思うとまた次の新たな重荷がやってきます。

罪には二面性がありますので私の罪が原因となっている重荷もあれば、他人の罪の影響を受けての重荷もあります。

主イエスは、そんなわたしたちに「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言っておられます。

主は、どうしてそう言うことができたのでしょうか。

それは、イエス・キリストが、あの十字架の上で、わたしたちの罪の重荷を、すべて引き受けてくださったからです。

イエスはこのことを「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」

と言われましたがこれは、わたしたちがイエスから別の重荷を負わせられるということではありません。

「イエスのくびき」とは何でしょうか?イエスは罪の中にいる私たちが滅びることのないように罪を身代わりにその身に負うことによって救いを与えるために私たちのところに来て下さったのです。

ですから「イエスのくびき」とはイエス様の別の仕事ではなくて、私たちの抱えている重荷と問題を代わりに引き受けるということです。

イエスの「くびき」を負うというのは、イエスから何かを背負わせられることではなく、わたしが背負うべきものをイエスに背負っていただくことなのです。

 

「わたしから学びなさい」ということばから弟子という言葉が生まれました。

ですからこの聖句は広く多くの未信者の方々を招いていることばであると共にキリストの弟子である私達が成長するためにも語られているのです。

 

 


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メッセージ内容(2021年2月7日)
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