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11月8日 「神の前に静まる時」(詩篇46:4〜11)

新型コロナ感染のためにネット礼拝となって7カ月が経ちました。

「なぜ、こんなことが起こるのか。」何か大きな出来事があると、私たちは決まってそう考え、そう口にします。

ヨブが大きな苦しみに遭ったとき、ヨブの友人たちは神に代わってヨブを教えようとしました。

しかし、それはヨブに何の答えにもなりませんでした。

最後に神ご自身がヨブに現れ、ご自分の力を示されたとき、はじめて、ヨブは神の前に悔い改め、苦しみから救われ、以前にまさる祝福を受けました。

神はヨブに理論的な「解答」を与えませんでしたが、〜「解決」を与えました。

苦しむ者に必要なのは論理、理屈ではありません。

重い病気にかかった人が医者から聞きたいのは、どのようなことが原因でその病気が起こり、統計的にどれだけの確率で死にいたるかといった説明でしょうか。

そんなことではなく、病気を治すために医者が何をしてくれ、自分が何をしなければならないかということでしょう。

私たちが神に「なぜ」と問うときも同じです。

 

主イエスは、私たちに苦しみの意味を論理的に説いたり、そこから救われるための修練の道を教えたりされませんでした。

人は言います。

「神が愛なら、なぜ苦しみがあるのか。」

十字架はこう答えます。

「神が愛だからこそ、御子が私たちのために苦しんでくださったのです。」と。

人は過去に目を向けて答えが見つかれば前に進めると思っています。

「なぜこんなことが起こるのか?」

しかし、神は

「あなたの人生の目的はそれではない。

そんなことを考えながらいつまで生きるつもりなのか?

あなたにいのちを与え、活かしているのはこの私だ。」

「あなたの人生の目的はこの私、『神を知る』ことだ」と言われます。

そして神を知るためには神の前に静まる必要があるのです。


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メッセージ内容(2020年11月8日)
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神の前に静まる時.pdf
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