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7月12日 「キリストとのきずな④だれのところに行きますか」(ヨハネ 6章66~69節)

 

ブームに浮かれるのは、現代人ばかりでなく、古代の人々、イエス様の時代の人々も同じだったようです。

イエス様が伝道を始め、誰も語ったことのないような、権威あるメッセージを語った時、人々は、喜んで、イエス様の話を聞きに集まってきました。

イエス様は、人々に神のことばを語っただけでなく、足の利かない人を立たせ、目の見えない人を見えるようにし、多くの病気を治し、悪霊を追い出すなどの目覚しい奇蹟をなさって、神の力を表わしました。

それで、多くの人々がイエス様についていくようになりました。

 

しかし、イエス様が耳障りの良い話だけでなく、人間の内面の罪深さに触れ、イエス様ご自身に関する真理を明らかにされるようになると、人々は、イエス様からひとり去り、ふたり去りしていきました。

人々は、イエス様についていけばいつでもパンにありつけるわけではないことが分かると、イエス様から離れていきました。

自分が好まないことを言われると、また離れていきました。

群衆だけではありません。

「弟子」と呼ばれる人たちも、イエス様から離れていきました。

 

そんな時にイエス様は「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」(67節)と、十二弟子に質問されたのです。

しかし、これは感傷的な思いでなされた質問ではありません。

これは魂に関する重要な問いかけです。

ペテロは「主よ。

私たちがだれのところに行きましょう。

あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」とはっきりと答えました。

 

光に背を向けて歩いていけばそこに待っているものは暗闇でしかありません。

真理、いのちから離れて行けば、そこには無力な人生しかないのです。

 

光、真理、いのちである主イエスから離れないことが大切なのです。

 


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メッセージ内容(2020年7月12日)
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だれのところに行きますか.pdf
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