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6月28日 「安心して帰りなさい」(マルコ5:25〜34)

私たちはどんな時が一番安心していられるでしょうか? 私たちがよく安心することの要素としてあげるもの、例えば経済力、地位や立場、健康、才能や能力、人間関係などは安心のある部分を満たしてくれますがそれらは状況次第ですぐに変わってしまうものです。

今朝は、絶望的な人生の中にあった一人の女性が主イエス様から確かな安心、平安をいただくことができたその様子をみことばから学びたいと思います。

そこで鍵となるのはその女性の信仰です。

 

第一は、神のことばを聞き、それに応答する信仰です。

彼女は主イエスのことを耳にしました。

それは主イエスの教えや語られたことば、なされた奇跡や癒し、主イエスに関する様々なことです。

それを彼女は神の言葉として信じ受け入れたのです。

「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)とある通りです。

 

第二に神の恵み、あわれみを信じて求める信仰です。

彼女はイエスに憐れみを求めて、それこそ苦しい時の神頼みの思いでイエスの衣に触れました。

彼女は神の恵みを信じ、かならずいやされると信じてイエスに近づいたのです。

そして主イエスは彼女の願いを受け入れて下さったのです。

 

第三にイエスに向かいあう信仰、神との人格の関係の中に生きる信仰です。

思い切って衣に触れることが彼女にできる精一杯のことでした。

そして主イエスは癒しをもって答えて下さいました。

しかし、そのまま帰されませんでした。

理由はこれからの生涯、どんな問題があっても平安のうちに過ごすためには平安の源である主イエスとの人格の関係の中に生きることが必要であったからです。

主イエスは私たちの全人生を気遣っていて下さるのです。

 


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メッセージの要約(2020年6月28日)
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安心して帰りなさい.pdf
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