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3月8日 「主に従う喜びと苦難」(マルコ8章27〜38節)

 今日の箇所は弟子のペテロが主イエスのことを「あなたは、キリストです。」と正しく告白したにもかかわらず、対話の流れの中で主イエスから「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と叱りつけられるという落差のある光景が記されています。

 

 この主イエスとペテロの対話の中に、私たちが信仰において考えておくべき大事な問題が指されています。

それは「信じる」ことと「分かる」こととの関係です。

信じるとは、ある意味では「分かる」ことです。

神様の恵みが分かり、主イエスによる救いが分かるから信じるのです。

「分かる」ことなしに信仰はありません。

しかし「分かる」ことが信仰なのではありません。

「あれも分かった、これも分かった」と、次第に分かることの量を増やしていくことによって信仰が深まるわけではないのです。

私たちが「分かる」というのは、ある意味では危険なことです。

何故なら、私たちは自分が分かったこと、分かったと思ったことに捕われてしまう傾向があるからです。

自分が分かったこと、分かったと思ったことから自由になれなくなるのです。

しかし本当の信仰とは、神様によって常に新しく分からせていただくことです。

新しく分からせていただくことによって、以前「分かった」と思っていたことは打ち砕かれるのです。

そういうことの繰り返しが真実な信仰の歩みです。

それを別の言い方では「神の言によって常に改革される」と言うのです。

 

 社会状況が不穏な中、もうすぐ4月、事業学業の新年度を迎え、新しい思いで歩み出そうとしている私たちは、主イエスの後に従う弟子として、自分の分かったことに固執することをやめて、主が連れて行って下さる所にはどこにでもついていく、そういう身軽さを身に着けていきたいと思います。

 


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メッセージ内容(2020年3月8日)
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