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4月28日 「たましいの安らぎ」(マタイ 11:28〜30)

「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」主イエスキリストはわたしたちにこう呼びかけておられます。

この言葉は呼びかけの言葉であり、招きのことばでもあります。

主イエスのところに行くのは何のためかというなら「わたしのくびきを負って、イエス・キリストから学ぶ」ためです。

「くびき」とは牛や馬を2頭、木や鉄の枠を首につなげて一つの動きが出来るようにしたものです。

聖書、特に旧約においては「くびき」とは苦役、重荷、苦しみ、不自由さと言ったように否定的な意味で用いられています。

しかし、主イエスがおっしゃった「私のくびき」は全く逆のものです。

先ず「私の」とあるようにすでにイエス様が負っていてくださるものであるということ。

ですから主イエスのくびきを負うとは逆の言い方をするなら、主イエスに重荷を負っていただくということになります。

キリストのくびきには苦しみや嫌なものを負わせられるといった意味はありません。

 

 主イエスのくびきを負うということは主イエスに私の重荷を負っていただき、主イエスとつながるということです。

それは私の人生の様々な重荷を負っていただくだけではありません。

重荷の最たるもの、罪を贖い、赦しを与えてくださいます。

そして主イエスとつながっているがゆえにキリストが復活されたように信じる者によみがえりの約束と希望が与えられています。

 

 主イエスとつながることによって本当のたましいの安らぎが与えられるのです。


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メッセージ内容(2019年4月28日)
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たましいの安らぎ.pdf
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