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「神の家を建て上げ続ける」(マルコの福音書 11:12〜25)

ある日、空腹を覚えられたイエス様が葉の茂ったいちじくの木を見つけ、実が実っていると思って近づいたところ葉の他何も無い事に気づかれ、「今後誰もおまえの実を食べないように」と言われたことが記されています。

その木が問題であったというよりも季節的にいちじくの実のなる季節ではなかったとまで書かれています。

まるで、いちゃもん難くせをつけて文句をいっている風変わりな男性というイメージが浮かんでくるわけですがその意味は後に記されている事柄から理解する必要があります。

 

神殿に入るとそこは両替人や捧げ物としての鳩などを売る商売人でごった返していました。

そして神殿で商売が盛んになされていることに主イエスが憤られ、彼らを追い出されました。

主イエスの怒りは当然のことでしたが実はこのことが主イエスの怒りの本質ではありません。

神殿は一番奥が至聖所と呼ばれ、祭司、男性、婦人、それぞれの部屋があり、一番外側には異邦人の庭と呼ばれる場所と、それぞれ独立していました。

そしてそれらの商売がなされていたのが異邦人の庭であったのです。

つまり異邦人は礼拝に参加できないというよりはユダヤ人達の礼拝のための通り道のようになっていたのです。

このことを主イエスは「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」べきところ強盗の巣になってしまっていると言われ、憤られたのです。

それは神を崇めているようで実は自分たちの都合の良いようにしているだけだと言われたのです。

この後、主イエスが十字架につかれ、神殿の幕が上から真っ二つに裂けました。

これは神殿における礼拝が終わったことが意味されています。

今の時代は教会で礼拝が持たれますが常に教会の主は誰であり、誰を崇めているのかをいつも確認する必要があることを教えられます。

 


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メッセージ内容(2018年6月3日)
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