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「どんなことでも神には出来る」(マルコの福音書 10:22〜31)

 今日は、先週一人の人が主イエスの前から悲しみながら立ち去ったという話の続きです。

この人が去って行くのを見送った主イエスは、弟子たちを見回して「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」とおっしゃいました。

弟子たちはこの言葉を聞いて「驚いた」というのです。

 

 驚く弟子たちに、そして私たちに、主イエスは、「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」とおっしゃいます。

自分の正しさ、立派さという豊かさに頼り、そこに安心を見出そうとしている限り、つまり自分で積み上げた宝に頼っている限り、神の国に入ることは、神様の救いにあずかることは決してできないのです。

神様の救いにあずかり、救いの確信を与えられ、真実の平安を得ることは「人間にできることではない」のです。

 

 しかし主イエスはそれに続いて「神にはできる。神は何でもできるからだ」とおっしゃいました。

ここに、私たちが神の国に入り、神様の救いにあずかるただ一つの道があります。

それは、何でもできる、つまり全能の、神様の力によってということです。

私たちが自分の力で神の国に入ること、救いにあずかることは、らくだが針の穴を通るような不可能なことです。

神様の全能の力のみが、その救いを与えることができるのです。

神様の独り子であり、まことの神であられる主イエスが、人間となってこの世に生まれ、歩んで下さった。

さらにその主イエスは私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さいました。

そして父なる神様は主イエスを復活させ、永遠のいのちを生きる者として下さり、その主イエスの復活のいのちに私たちもあずからせて下さるのです。

キリストによって救いの み業が実現したのです。

 


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メッセージ内容(2018年5月6日)
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