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「キリストの後に従う」(マルコの福音書 8章31〜38節)

今日の箇所で初めて主イエスはこれからの歩み、すなわち十字架の苦難と復活の話を弟子達に教え始められました。どうしてこの時からと言うならペテロが主イエスの「あなたはわたしを誰だと思いますか?」という問いかけに「あなたはキリスト(救い主)です」と正しく答えることが出来たからです。しかし主イエスがこれからのご計画を語られた途端、ペテロは主イエスを連れ出して、「そのようなことを言ってはいけない」といさめたのです。
 なぜそのようなことになったのでしょうか?最も大きな理由はペテロが描いている救い主のイメージと救い主イエスが語られることばとの差があまりにも大きかったからではないでしょうか? ギャップが大きいばかりではなくペテロは主イエスのことばを正そうとしたのです。「主イエスは本当のことが分かっていない。」「救い主がそんな弱気でどうするのか」と言わんばかりです。ペテロは正しい信仰告白をし、主イエスもそれを認めて下さったということでキリストについて「分かった」つもりでいました。しかしそれが信仰のすべてではないのです。つまり信仰を持つためにはある程度「分かる」必要がありますが「分かった」からと言ってそれが信仰を深めてゆくとは限らないのです。本当の信仰とは、神様によって常に新しく分からせていただくことです。時には「分かっている」と思っていたことが「実は何も分かっていなかった」ということもあります。そういうことの繰り返しが真実な信仰の歩みです。神の言によってかたくなな心、固執した思いや考えが変えられ続ける、つまり「自分を捨てる」ことが求められるのが信仰の歩みです。


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メッセージ内容(2018年2月18日)
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