メッセージ

メッセージ · 2019/09/01
パウロはこの書で教会のあるべき姿として一致していることが最も大切であると語ります。 これは何もパウロが考えていることというよりも、主イエスがキリストに従う者に最も願っておられることです。 「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」ヨハネ17:20, 21 主にあって一致することこそ、神なる主イエスが私たちに望んでおられることなのです。 その一致は「御霊の一致」と表現されていますがこの一致を作り出しなさいとは言われないで「保ちなさい」と言われています。 しかも一致を保つために「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」と最大、最高の配慮がなされる必要があることが言われています。 それは小さな灯を嵐の吹きすさぶ中にあって消さないように守っているようなことに譬えられるかもしれません。 考えてみれば、主イエスが教会に、そしてクリスチャンに願っておられることは。。。

メッセージ · 2019/08/18
今日の聖書箇所は私たちが成長するために互いに教え合い、学びあうことの流れについて教えてくれています。 まず、私たちが教えることが出来るためには、自分自身がみことばを理解しておく必要があります。 「キリストのことば」とは主イエスが実際言われたことだけでなく聖書全体のことを指しています。...

メッセージ · 2019/08/04
クリスチャンは霊的に成長するためには、人の助けが必要です。 聖書を読んで祈っていれば、自動的に成長するかと言うなら、そんなことはありません。 キリストに似た性質は、人間関係の中で育まれるものであり、孤立したままでは成長できません。 特に霊的に成長するためには、良いお手本、模範が必要です。 百聞は一見にしかずではありませんが私たちがより力強く成長するためには信仰を持って生きる人生がどれほど素晴らしいかを身をもって示してくれる生きた手本が必要です。 私たちは「信仰の説明」ではなく「信仰を持って生きる模範」を必要としているのです。 パウロは「どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。」と語ります。 自分の力によって立ち、自分のみを見つめるのではなく、共に、主によってしっかりと立つことこそ、パウロが言おうとしていることなのです。 自分を誇りとするのではなく、ただ、キリストを誇りとし、キリストによって約束された救いの完成を求める人々の姿を模範として行く中で、私たちは、自分の力によってではなく、主によって立つ者とされて行くのです。

メッセージ · 2019/07/28
今日のテーマは「互いに罪を告白する」です。 罪を告白する目的は私たちが面目を失ったり、恥ずかしい思いをするためではなく、恵みを得るためです。 罪を告白するとは「私が罪を犯した」、「私は罪びとなんだ」と認めることです。 そうする時に聖書は「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第一ヨハネ1:9と本当の赦しと平安を覚えることを約束しています。 信じた後もクリスチャンにとっては罪を告白するのはキリストのからだなる教会の交わりを豊かなものにしてゆくために必要です。 どんな罪を犯したとしても私たちは神の家族の一員であることには変わりがありません。 クリスチャンが罪を告白するのは、もう一度神の家族に入れてもらうためではありません。 神との豊かな交わりを回復するためです。 さらに罪の告白をするのは「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。 いやされるためです。 義人の祈りは働くと、大きな力があります。」ヤコブ5:16とあるように癒されるためです。 このように罪の告白は信仰…

メッセージ · 2019/07/21
神様は私たちを自分自身の枠を超えて他の人々のために生きる者として造られました。 またそのように生きないと自分自身この世に存在している意味も分かりません。 自分の中をいくら掘り下げて考えてみてもそこから答えは出てきません。 人生はあなたが中心ではありません。 主イエスによれば、キリストのいのちを体験したいと願うならば、自分ではなく相手を優先しなければならないことが教えられています。 他の人を優先させるとは、キリストのからだ、つまり教会全体の最善を考えて自分自身を犠牲にすることとも言えます。 聖書はさらに人を優先させ、自分自身はあえて裏方に回るようにも勧めています。 “兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。”(ローマ12:10) 私たちは誰しも成長することを願っています。 キリストの良き弟子でありたいと願います。 そのために主イエスは互いに優先し合い、裏方に回るようにと勧めています。 今日の箇所の弟子たちの気持ちもやはり良い弟子、立派な弟子になりたいというものだったと思います。 しかしながら結果的には誰が一番偉いかと…

メッセージ · 2019/07/14
私たちは交わりの中で成長してゆくように造られています。 そしてその交わりが良いものであればあるほど成長できます。 交わりとは人と人とのつながりのことですが良いつながりを持つためには赦しが必要です。 赦しは人と人の関係を深めるためには重要な要素です。 ですから私たちは、絶えず人を赦し、また人からの赦しを受け取っていく必要があります。 逆に憎しみ、反発、恨み・・こういった赦さないことから出てくるものは人と人との関係を薄め、遠ざけるものとなり、近づけることはありません。さらに人を孤立させます。 主イエスも「主の祈り」を弟子たちに教えられた時に、これだけは人間が成長するうえで重要なものだけを短く主の祈りにまとめられました。 「主の祈り」には私たちが人生を過ごしていくために必須の要素、エッセンスが入っています。 主の祈りにおいては前半部分は神様と自分との関係のことについて言われています。 人間のことについては「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と日ごとの糧についての祈りがあり、その次に「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」とあります。

メッセージ · 2019/07/07
聖書はクリスチャンが共に成長することを勧めています。 「私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」ローマ14章19節 一人で成長することは出来ません。共に成長するのです。 これからしばらくシリーズで共に成長する秘訣を聖書から学んでゆきたいと思います。...

メッセージ · 2019/06/30
今日の箇所には10人のツァラアト(重い皮膚病)に冒された人が癒された話が出てきます。 この病は単に体が元に戻れば良いというだけでなく、宗教的な意味もあり、回復した際はユダヤ教の祭司の癒しの宣言が必要でした。 この箇所から信仰について2つのことを覚えさせられます。 第一に主イエスのおことばを信じ切って、行動するということです。...

メッセージ · 2019/06/23
主イエスは私たちと出会って下さり、語りかけて下さることによって、私たちの中にも、主イエスが与えて下さる生きた水、永遠のいのちへの水を求める思いを起し、与えて下さいます。 その水は、私たちの渇きを一時癒すだけの、その場しのぎの水ではありません。 それは私たちの内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出るような水、つまりむしろ泉と言うべきものです。 主イエス・キリストは私たちの内に、新鮮な水がこんこんと湧き出る泉を与えて下さるのです。 私たち自身の中をいくら深く掘っても、そのような泉が湧き出ることはありません。 この泉は、主イエス・キリストご自身です。 主イエス・キリストご自身が私たちの内に来て下さり、宿って下さることによって、泉となって下さるのです。 それは私たちが主イエスを信じて、主イエス・キリストと結び合わされることによって、主イエスが私たちの内で泉となり、生きた水によって私たちの渇きを癒し、潤していって下さるのです。   その主イエスは私たちの救いのために、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さった方です。 そして私たちの先駆けとして復活して、永遠のいのちを生きておられ…

メッセージ · 2019/06/16
今日は神を父と呼ぶことの意味について聖書から学んでゆきたいと願っています。 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあるように、使徒信条は、神を「造り主」、また「父」と呼んでいます。 この部分は、原語の語順では、「神、父、全能、創造者」の順になっています。 私たちの信じるお方は、まず「神」と呼ばれ、次に「父」と呼ばれ、それから「創造者」と呼ばれているのです。 この場合、神はどういう意味で「父」と呼ばれているのでしょうか。 それは、第一に、神が「天と地」、つまり、あらゆるものを創造されたお方、万物の源であることを示しています。 次に神が「父」と呼ばれるのはイエス・キリストの父ということです。 神が「創造者」として「父」と呼ばれるのは、「父のようなお方」「全てを創り出す根源」という意味ですが、「御子の父」という場合、神はほんとうに「父」なのです。 御子が人となってお生まれになったのは、今から二千年前のことですが、その時はじめて御子が存在されるようになったのではありません。 御子は永遠の先に父なる神から「生まれ」、父なる神とともにおられたのです。 御子は造られたお方ではなく、むしろ…

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