メッセージ

メッセージ · 2018/02/18
今日の箇所で初めて主イエスはこれからの歩み、すなわち十字架の苦難と復活の話を弟子達に教え始められました。どうしてこの時からと言うならペテロが主イエスの「あなたはわたしを誰だと思いますか?」という問いかけに「あなたはキリスト(救い主)です」と正しく答えることが出来たからです。しかし主イエスがこれからのご計画を語られた途端、ペテロは主イエスを連れ出して、「そのようなことを言ってはいけない」といさめたのです。  なぜそのようなことになったのでしょうか?最も大きな理由はペテロが描いている救い主のイメージと救い主イエスが語られることばとの差があまりにも大きかったからではないでしょうか? ギャップが大きいばかりではなくペテロは主イエスのことばを正そうとしたのです。「主イエスは本当のことが分かっていない。」「救い主がそんな弱気でどうするのか」と言わんばかりです。ペテロは正しい信仰告白をし、主イエスもそれを認めて下さったということでキリストについて「分かった」つもりでいました。しかしそれが信仰のすべてではないのです。つまり信仰を持つためにはある程度「分かる」必要がありますが「分かった」からと言ってそれが信仰を深めてゆくとは限らないのです。本当の信仰とは、神様によって常に新しく分からせていただくことです。時には「分かっている」と思っていたことが「実は何も分かっていなかった」ということもあります。そういうことの繰り返しが真実な信仰の歩みです。神の言によってかたくなな心、固執した思いや考えが変えられ続ける、つまり「自分を捨てる」ことが求められるのが信仰の歩みです。
メッセージ · 2018/02/11
今日はイエス様によって目の見えなかった人が癒され、徐々に見えるようになった盲人の話しです。イエス様のされた癒しは直接身体に触れて癒されたこともあれば御言葉を持って癒されたこともあります。この場合は盲人の人に直接、手を触れて癒されました。どちらであろうとイエス様にとって「癒し」が最終目標ではありません。人が癒しを通して神様の恵みと愛に気付き、救われることが目標です。 彼に手を触れたイエス様は、「何か見えるか」と聞かれました。彼は見えるようになって「人が見えます。・・歩いているのが見えます。」と答えました。この「見えるようになって」ということばは「目を上げる」という意味であり、このことばは主イエスが幾度も天の父なる神様に賛美と祝福を捧げる際に使われています。つまり「目を上げる」とは肉体的に顔を上に上げるということだけではないのです。敢えていうなら霊的世界に目が開かれるとも言えるでしょう。列王記第二6章において預言者エリシャがアラムの軍勢に包囲され絶体絶命の危機的状況に陥った時、恐れ怖気づいた味方の若者のために神様にエリシャは「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」。と祈りました。結果、若者は目が開かれて、驚くべき数と力を持った天の軍勢を見たのです。私たちは肉の目に映る現実、圧倒的なこの世の力に取り囲まれている現実こそが、ただ一つの現実と思いやすい者です。しかし、神によって目が開かれるなら別の神の現実を見ることになるのです。それはキリストを見つめていると見えてくるものです。
メッセージ · 2018/02/04
主イエスが四千人の人々を七つのパンと少しの魚で満腹にされたという出来事が記されています。 主イエスがこのような業をされたのは二度目です。最初は五千人の人々を五つのパンと二匹の魚で養われました。主イエスは繰り返し、食べ物を分け与えて群衆を養われる奇跡をなさったのです。...
メッセージ · 2018/01/28
耳が聞こえず舌の回らない人がイエス様のもとに連れて来られました。 イエス様はこの人に対して、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられました。 するとこの人は聞こえるようになり、話せるようにもなりました。この癒しは特殊と言えば特殊ですがイエス様は千差万別、一人一人にあった癒し方をされました。...
メッセージ · 2018/01/14
主イエスの所に一人の女性が娘の癒し(悪霊の追い出し)を求めてやってきました。 最初、主イエスはその女性の願いを聞き入れませんでした。 しかも、救いは先ずユダヤ人に与えられるもので異邦人であるあなたにではありませんとも言われました。...
メッセージ · 2018/01/07
今年の教会の指針を祈り求めておりました。 昨年は「キリストを真に知る」が教会の指針でした。 そのことから、ではキリストはどういうお方であるのか? 様々なとらえ方がありますが今日の箇所の17節に「恵みとまことはイエス・キリストによって実現したのである。」とあり、14節にも「この方は恵みとまことに満ちておられた。」とあります。...
メッセージ · 2018/01/01
新年を迎えました。 お正月には、お雑煮におせち、普段とは違うものを食べて、「新しさ」を感じるのですが、その新鮮な感覚も、日が経つにつれてだんだんとうすれていきます。 「新しい」といわれるものも、やがて古くなってゆきます。 旧約聖書伝道者の書にこんな言葉があります。...
メッセージ · 2017/12/31
今日は12月31日、一年の最後の日、そして主日です。 今年は一年間、「キリストを真に知る」を教会の指針として信仰生活を共に送ってまいりました。 一年の最終日を迎えるにあたり、今年どれぐらいキリストを真に知ることとなったことでしょうか。...
メッセージ · 2017/12/24
私は毎年クリスマス礼拝を守るこの時、何よりこの一年間、信仰を守られてこの日を迎えられたことをうれしく思います。 クリスマスおめでとう、メリー・クリスマスとクリスマスのあいさつをかわせる喜びを思います。...
メッセージ · 2017/12/17
今日の箇所はバプテスマのヨハネが誕生する時のことが記されています。 ザカリヤとエリサベツという老人と生まれたばかりのヨハネという幼子が主イエスの救いの訪れを喜ぶ者として、またその喜びを告げ知らせる者として用いられています。...

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