メッセージ

メッセージ · 2021/04/05
今日はイースターです。 今朝の賛美歌で私たちは「ハレルヤ」と歌いました。 「ハレルヤ」というのは、「ハレル」(賛美せよ)「ヤー」(主を)という意味です。 もともとはヘブル語ですが、「アーメン」という言葉と同じように、これは世界共通語になっています。 神の真理に対してアーメンと答え、神のみわざに対してハレルヤと賛美できるのは、本当に素晴らしいことです。 イースターの朝、私たちも、もういちど、こころ一杯ハレルヤを唱えましょう。 さて「イースターとは、矛盾した祝日です」と言った人がいます。 何が矛盾かというと、罪のない方が裁きを受け、正しい方が罪を背負って十字架におかかりになり、神の子が父なる神から見捨てられ、人にいのちを与える主が死なれたからです。 どれも本当に矛盾しています。 ありえないこと、あってはならないことです。 そしてさらなる矛盾はイエスの墓を訪ねに来た婦人たちが、その墓でイエスはよみがえられたというメッセージを聞いたことです。 彼女たちは、死以外何も示さない墓場でいのちのメッセージを聞いたのです。 今日の午後に猪名川霊園に出かけますが普通お墓が示すものは死以外にありません…

メッセージ · 2021/03/28
イエス・キリストと両隣の二人の男が十字架にかけられている場面です。 一般の人からすると十字架の上で死にそうになっている男が、同じように十字架にかけられ死に行く男に救いを求めているのです。 そして真中のイエス・キリストは「まことに、あなたに告げます。 あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。 男に「天国は約束されています」という何とも不思議な会話がなされています。 しかしイエスはこの短い会話の中に天国に行く道をはっきりと示しておられます。 天国に行くためには何が必要とされているのでしょうか? それは第一に自らの罪を認めるということです。 この男は、ただひとり罪のないお方、完全にきよいお方の前で、自分の罪を認めています。 第二にイエスを神の子キリスト、救い主として信じ、受け入れています。 本当に自分の罪を認めた者は必ず罪の赦しと救いを求めます。 そうでないならそれは反省、後悔の段階で終わってしまっているのかもしれません。 そして第三にこの男はイエス・キリストに救いを願い出ました。 つまり「私を救ってください」「天国に入れてください」と願い出ることです。 この男の

メッセージ · 2021/03/21
今日の箇所は十字架を前にして主イエスが祈られた箇所でゲッセマネの祈りとも呼ばれています。 イエスにとって、祈りの時は、常に喜びに満ちたものでした。 しかしイエスにとって祈りが喜びではなく苦しみであったのは、おそらく、これが初めてのこととなります。 その苦しみとは肉体的な苦痛でもなければ精神的な苦痛でもありません。 父なる神から遠ざけられ、神とのいっさいのまじわりを絶たれることにありました。 その苦痛の中で 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください」 「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」 と祈られたのです。 聖書に出てくる杯には「祝福の杯」と「怒りとさばきの杯」があります。 過越の食事のとき、イエスは「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」と言って弟子たちに杯を与えました。 イエスが弟子たちに与えたのは「祝福の杯」でした。 イエスは、私たちには、赦し、きよめ、神の愛、恵みなど、あらゆる祝福が一杯詰まった「救いの杯」をくださるため、私たちに代わって罪に対する神の「怒りの杯」を飲んでく…

メッセージ · 2021/03/07
イザヤ書にはイエス・キリストについての重要な預言が数多く記されています。 特に今日取り上げました53章にはキリストの受難の預言が詳しく描かれています。 その預言を見るとキリストの受難について細かい部分にいたるまで、正確に成就していて、個人的には驚きを超えて、恐ろしい思いを持つほどです。...

メッセージ · 2021/02/28
今日の箇所はパウロの祈り、それも教会に対する切なる祈りです。 教会の歩みにおいて「実り」と「成長」は何よりも神の愛が基となっていること、そして神の愛はキリストの愛にすべてが表わされていることをパウロは記しました。 今年の教会の指針は「実り」と「成長」ですロ聖書はなつめやし、レバノン杉、ぷどう、いちじく等、植物、樹木によって実りと成長が表現されています。 神の愛はさしずめ水、空気、士、光等、植物の成長に必須の要素になるでしょう。 そして「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力」18節とありますが樹木のように信仰者は上に向かい、横に拡がり、そして下に深く根差して成長してゆきます。 上に向かいとは主なる神を礼拝すること、主に賛美と感謝を捧げること、ひいては主に私を用いて下さいと献身する思いをもって生きるニとです。 横に拡がる成長とは伝道であり交わりです。 キリストを中心とする豊かな交わりから救われる人が起こされる可能性は高いでしょう。 良い木は良い実を実らせるのです。 下に根づくというニとですが木は大きければ大きい程、高ければ高い程、地中深くしっかりと伸びた根を必要とし…

メッセージ · 2021/02/21
蛍池聖書教会は大きく分けると新教(プロテスタント)に属していて、ルター、カルヴァンらの宗教改革者からその流れが始まっています。 宗教改革の原理として「信仰のみ」、「聖書のみ」、そして「万人祭司」であると言われますが、もうひとつの大切な原理があります。 それは「恵みのみ」ということです。 「あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」エペソ2:5改革者たちは、この神の恵みを再発見し、それを強調しました。 イエス・キリストの救いのメッセージは「恵みの福音」使徒20:24と呼ばれています。 教会はキリストの恵みによって生かされてはじめて、この恵みの福音を宣べ伝えることができ、クリスチャンはキリストの恵みに満たされてはじめて、福音をあかしすることができます。 では、どのようにしてキリストの恵みに立ち返り、それに信頼し、恵みのうちに生きることができるのでしょうか。 それは「認めること」「信じること」「告白すること」この3つのポイントが重要です。 「認めること」とは自分の罪を知り、その罪が赦されるために自分がキリストの恵みを必要としていることを認めることです。 「信じること」の…

メッセージ · 2021/02/07
ある人が「人類最大の重荷は罪である」と言っていますが、わたしたちはみな罪の重荷にあえいでいます。 一つ罪の重荷を下ろしたと思うとまた次の新たな重荷がやってきます。 罪には二面性がありますので私の罪が原因となっている重荷もあれば、他人の罪の影響を受けての重荷もあります。 主イエスは、そんなわたしたちに「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言っておられます。 主は、どうしてそう言うことができたのでしょうか。 それは、イエス・キリストが、あの十字架の上で、わたしたちの罪の重荷を、すべて引き受けてくださったからです。 イエスはこのことを「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」 と言われましたがこれは、わたしたちがイエスから別の重荷を負わせられるということではありません。 「イエスのくびき」とは何でしょうか? イエスは罪の中にいる私たちが滅びることのないように罪を身代わりにその身に負うことによって救いを与えるために私たちのところに来て下さったのです。 ですから「イエスのくびき」とはイエス様の別の仕事ではなくて…

メッセージ · 2021/01/31
ペテロの手紙第二では、「敬虔な生活」を送ることが強く勧められています。 しかし、「敬虔」とはどういうことでしょうか。 聖く、正しく生きることでしょうか?もしそうなら、イエスの時代のパリサイ人や律法学者はいちばん敬虔な人たちでした。 しかし、イエスは彼らの見せかけの敬虔を強く非難されています。 ローマ1:18に「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されている」とあるように、人間の罪には、不正や不道徳だけでなく、神を神として崇めず、恐れず、従わない「不敬虔」も含まれています。 つまり「敬虔な生活」とは立派な生き方、尊敬される生き方をするというよりも神を神として崇め、神を恐れ、神に従う生き方のことを言っています。 「敬虔な生活」は私たちの強い意志や努力で達成できるものではないのです。 何故なら「不敬虔な生き方」つまり神を神として崇めず、神を恐れない生き方をするのは「罪」だからです。 意志力や心がけで不敬虔な生き方を克服できるのであれば主イエス・キリストが十字架に架かる必要はありませんでした。 ローマ5:6に「私たちがまだ弱かったとき…

メッセージ · 2021/01/24
主イエスは、人への神の愛や世界に対する神の計画を、日常の事柄をたとえを用いてわかりやすく教えられました。 主イエスは、農夫や漁師、羊飼いや主婦たちの日常の生活を使って、神のみこころを目に見えるように描かれました。 主イエスの「たとえ話」には金持ちや貧しい人、賢い人や愚かな人、主人やしもべ、善良な人や悪賢い人など、あらゆる人物が登場します。 「たとえ話」とは言うものの、どれも人々が実際にあったこと、よく見聞きすることばかりで、とても現実的ことでもあるのです。 きょうの箇所で、主イエスは、「いのちを支え、からだを守ってくださるのは神である。 神が私たちを養ってくださるのだから、食べ物や着物のこと、つまり、日々の必要のことで心配するな」と教えておられます。 しかし、いくら「心配するな」と言われても、心配や思い煩いの絶えないのが、私たちです。 特に今は、ちょうど一年前からの「新型コロナウィルス」のことで、心配と不安が何倍にもなりました。 そんな私たちに、イエスは、神が、私たちのことを、どんなに心にかけてくださっているかを、身近な「空の烏」「野の花」を「たとえ」に使って示されました。 鳥や花で…

メッセージ · 2021/01/17
バランスシートとは会社の経営上の健康状態を判断するもので貸借対照表とも言います。 それは会社の資産や負債を表にまとめたものです。 負債が多ければ成長することは難しいですし、資産が多ければ成長が見込めます。 これは信仰者の歩みについても言えることでパウロはそのような信仰者の歩みを衣類を着ることに関連させて語っています。 先ず着ること、身に付けることですがコロサイ3:12に「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と、五種類の着物をあげています。 特にいちばん大切なのは、最初にあげられている「深い同情心」です。 なぜなら、他のすべてのものは、これに基づき、この上に重ねられていくからです。 神の「憐れみ」がどんなに豊かで、キリストの「同情心」がどんなに深いものであるかを、みことばから学び、生活の中で体験し、祈りによって自分のものにしていきましょう。 次に上の良きものを身につけるためには、今まで身に着けていたものを脱ぎ捨てなければなりません。 8節には脱ぎ捨てるべきものが、やはり五つあげられています。 それら…

さらに表示する